美しい
美しい表現
デジタル化された文字では、「感情・感覚・らしさ」の表現には無理があります。定規で測って書いたような線は、一本調子で文字に表情は感じ取るのが困難となります。例えば、「三」はゴシック体や明朝体のフォント文字では三本の線は平行となります。書家/書道家 伊藤月山が筆で楷書で「三」を書いたら、三本の線は上から仰・平・覆となり一見平行に見えても、進んでいく線の方向は違います。そのことによって、単純なデジタル化が変化に富んだアナログの世界へと変わります。また、人によっては美しいと表現する人もいます。やはり、アナログは多様な表現ができます。筆で書く方が活字より美しい表現にするのに「三」のように線に変化を持たせるようにしています。
野口白汀先生の授業の中で最も記憶に残るのは、半紙に自分でここなら変だと思うところに点を書くように言われ、左上に書きました。次に、もう一つ点を書いてみてと言われ、どこに書くべきかをしばらく考えました。当然のように、上下左右対称の位置にしようとしましたが空間が広すぎて二つの点の響きが全く無いので、一画目より少し左下に書きました。最後に一本の線を書いて完成するように言われ、左下から右上に書いてみました。当時、意味のない授業に思えましたが、今はその授業が当サイトの作品創りに大いに役立っています。
書き終えた私たちの作品に対して、先生は評価をしませんでしたが白と黒のバランスが創る空間の美しさを教えていただきました。
人は、美しさに感動します。
夕焼けのあの温かい美しさ、太陽の光を受けて氷雪の輝く冷たい感覚の美しさ、飛ぶ鳥の美しさ、花の美しさ等々そのどれもが筆に息吹を与え役を演じられれば・・・そのような書家/書道家になることを目的に私は日々努力しています。
私は、書家/書道家とはいえ制作のほとんどがクライアント様と一緒に完成を目指しております。もちろん修正依頼はお受けしておりますが、初回提案にはじっくり時間をかけます。そのため修正すればするほど良くなるとは限りません。初回提案か、1~2回の修正でのご採用がほとんどです。
当「美しい」表現ページでは、次の様な手法で筆文字デザイン制作をいたしました。
まず、【1】篆書体での制作の場合、逆筆から繰り出す線が送筆から収筆まで一点の乱れをつくらない様にしています。「桜橋」の筆文字はそれに当てはまりますが、デザイン性を意識して作り上げました。
【2】古隷の一部分を取り入れた場合、「夫婦みち」の『夫』のように磔は長めにしています。それによってのびのびとスッキリした美しい結体を生み出す事につながります。私の長文での隷書作品では、文字の歴史の変遷の中で、古隷から八分に移行しつつある時代の作品を作ることの楽しみをよく味わっております。
【3】隷書八分を取り入れた場合、隷書作品のほとんどは、古典にある曹全碑、礼器碑、張遷碑、乙瑛碑、石門頌、西狭頌等の古典の中の一作品または、それを複合した作品を使っております。
当ページでの隷書作品は、「千葉大秦」に見られるような古隷と八分を組み合わせた作品にする事によって、味わい深い美しい仕上がりとなっております。よく、先人が言われる言葉に「隷書が書けなければ、仮名や楷書、行書、草書を完成させる事は難しい」とあります。つまり、書家を志す者は隷書抜きでの勉強では良い作品は生まれないという意味の様です。
私の恩師の暁鶴氏は隷書を得意としていました。私はいつから筆を持ったか覚えていません。遊び道具の一つとして私の記憶の無い時代に筆を持っていたようです。暁鶴氏の隷書は決して美しいとは言い難い、とても力強い筆文字作品でした。私は今、当ページで掲載した書風の美しい表現には、出来るだけ力強さを取り除こうと試みました。当ページの美しい表現での隷書の筆使いは暁鶴氏の筆使いに限って言えば、全く違っていて、恩師に申し訳ないような気もします。昔と違って今、書道で生活を営むとするなら時代は全く変わりました。私の記憶では、全国至る所に画商屋があり、ちょっと有名な書道家ともなれば掛け軸作品にして売れていた様です。超有名な先生となれば画商屋が、こぞって書作品を求めていた様で、ここでは名前を明かしませんが、美術館の建立にあたって、作品を書きまくり、一億円のお金を作ったという話も聞いております。その作品は高度経済成長の中にあり建築ブームの波に乗り和風建築には、たいがい床の間がありました。その床の間に日本らしい和風の書作品を掛ける事により、部屋の雰囲気を変え、ある意味ではインテリア書道としての役割を十分に果たしておりました。また、どの義務教育の学校においても書道は必ずありました。その分、今と違って書道を教える先生も多かった訳です。今の時代の書道を考えれば、書道の免許さえあれば書道で生活を営む事はたやすかっただろうと想像します。
また、先生の書いた作品を生徒が直す事は決してありません。有名な先生の書いた作品を手直しして、この部分はこの様に、とかもう少し力強くとか美しい表現にとか、ほとんど無かった様です。今はというと、文字を書けば売れるという訳には行きません。
街を歩くとフォント文字に限らず、筆文字の看板もよくあります。機械的なフォント文字よりも筆文字の方が温かみを感じます。美しい筆文字を使った看板があると店内の雰囲気まで美しく感じられます。
隷書の八分の難しさは波磔という人が多いようですが、私は、波法が難しいと思っております。それは波法なくして波磔は不自然だから、せめて気持ちだけでも、波磔を入れる場合は、波法を入れる様にしております。また、美しい隷書八分を制作するのに結体が横長でなければいけない、とかタテよりもヨコの方が太くなければいけない、とか紙に筆を食い込ませて書かなければいけない、などの常識的なものが意識された時、美しい文字のデザイン表現は遠ざかってゆくと思っております。
【4】よく漢字仮名交じり文は、漢字を大きく、仮名を小さくと一般的に言われています。それに照らし合わせると「風香る季節となり…」の場合は一文字一文字読みやすい漢字を使っており、仮名もそのように読みやすく漢字よりも小さくしておりオーソドックスな漢字仮名交じり文です。「雪のふる街」場合は「雪」を浮いたような表現にし、「ふる街」でその雪を支え安定感を持たせました。「蝉しぐれ」については人の耳をつんざく様な高音の音をよく耳にし、その表現を鋭い起筆にして「蝉」を作り、それに合わせて平仮名の長い線は起筆、収筆を鋭くしました。「海に咲く花」は瑞々しさや余韻を残したい時「海」の長い横画には一気に送筆に入らないで点を二つ三つ付ける場合があります。なお、収筆にこの点を付ける場合があります。美しい表現と言っても、なるべく筆づかいや章法を変える様にしています。この筆文字デザインの場合、他と違うのは空間を利用した布置にこだわった事です。例えば「に」を書く時「海」の最下部よりも上部に一画目の起筆があり「咲」は「に」の最下部より「咲」の最上位が高く、「花」も同様に書いております。
【5】美しい文字に行書を取り入れた場合、ただ単に行書としての定義は色々とありますが、それはさておき、この「華流」の作品の場合、長い縦の線が左右のバランスを取る役割をしています。それなのに横画が長すぎるほど長くしたのは、元気の良い表現にする為このようにしました。長い縦画の接点の左と右を比べた場合、横画は右上がりで左が太くて長く、右が細くて短いです。これは大自然の姿そのものです。
なお美しさ、力強さ、躍動感、インパクト、奇抜、爽やかさ、カッコいい、高級感を兼ね備えた和風フォント「月山書体 風の舞」の1文字単位のご購入も可能です。こちらのページに風の舞フォントの見本(漢字・ひらがな・片仮名・英字(アルファベット)等を掲載しております。